Michio’s Northern Dreams4「森に還る日 A Day in the Forest」
 
 

  「森に還る日」は2002年5月21日に第1刷が発行された。

 「木も、岩も、風も、
 あらゆるものがたましいをもって
 わたしたちを見つめている。」

 

 「ぼくを見つめているこのハクトウワシは
 過去にも未来には生きてはいない。
 そんな時間などは存在しない。
 まさにこの一瞬、一瞬を生きているのだ。
 そして僕もまた
 遠い昔の子どもの日々のように、
 今この一瞬だけを見つめている。」


 自分のしたいこと、好きなことだけをやっていられたら、楽しいだろうか?
 最初は楽しいと思うだろう。でもいつかそれがあたりまえになってしまって、楽しいと思わなくなってしまうに違いない。
 日常の細々とした事やめんどうなことを、一つずつ誠実にこなして迎える楽しみ。それが楽しみをより大きなものにするのだと思う。
 人の一生は思っているほど長くはないのかもしれない。けれど、人生をより大きく深く大切なものにするためには、日常を、今この一瞬、一瞬を大切に生きて行かなければならないのだろう、たぶん・・・。

 「深い森の中にいると川の流れをじっと見つめているような、
 不思議な心の安心感が得られるのはなぜだろう。
 ひと粒の雨が、川の流れとなりやがて大海に注いでゆくように、
 私たちもまた、無窮の時の流れの中では、
 ひと粒の雨のような一生を生きているに過ぎない。
 川の流れに綿々とつながってゆくその永遠性を人間に取り戻させ、
 私たちの小さな自我を何かにゆだねてさせてくれるのだ。
 それは物語という言葉に置き換えてもよい。
 そして一見静止した森、
 また私たちの知らない時間のスケールの中で、
 永遠性という物語を語りかけてくれるのかもしれない。」

 森も大きな時間の流れの中で、少しずつ動いている。気の遠くなるほどの長い時の流れの中で、森は変化していく。
 人の一生を流れる時間と森の木々に流れる時間は、違うように見える。しかし、その密度ということを考えれば、同じなのかもしれない。自分の意志を持ち、自分で選択して行動できる人間に対して、木は待つことでその目的を果たす。風が吹いて、蜜蜂が蜜を吸うことで、台風で他の木が倒れることでその目的を達成する・・・。そう考えると、木の一生も人間の一生も密度として考えれば同じだと考えることもできる。長さは別として・・・。


 「ホーッ、ホーッと、森の奥から、
 低くこもったフクロウの声が聞こえてきた。
 近くにクマがいるようなきがしてならなかったが、
 聞こえてくるのは風が吹く風にきしむ木立の音だった。
 夜の世界は、いやおうなしに人間を謙虚にさせた。」

 怖れを知ることは、大切なことだと思う。
 畏怖の感情・・・。都会で暮らす毎日には、こんなことを感じることは少ないのかもしれない。息を詰めて漆黒の闇の中を、目を凝らして見つめる。そんな経験をすることもない日々。怖れを知らないことで、人間が傲慢になっていることがたくさんあるに違いない。
 怖れの感情を持つということは、人間も自然界の中の動物の一種であることを思い出させてくれる。人間の中の動物的な感覚が呼び覚まされてくるのかもしれない。何かを怖れること、それはとても大切なことだと思う。人間は誰かにあるいは何かによって生かされている、そう感じる心を失わないでいられるような気がする・・・。

  

 

  2002.10.2

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