「ノーザンライツ」

  

 アラスカの動物や人々に惹かれて、失われて行くエスキモー やインディアンの昔話を聞いたり、太古にベーリング海峡を渡ってアジ アから北アメリカに渡って来たモンゴロイドの足跡をたどったりと、何か 一つの使命を与えられ、それを実行した人なのかもしれないと思う。

  しかし、星野さんがエスキモーやインディアンに惹かれていくのも解るような気がする。アメリカインディアンのナヴァホ族に興味を持ってい る私もそれらの人々がモンゴロイドという、同じ黄色人種であるという理由から惹かれていくのかもしれない。

 自然というものの計り知れない雄大さ、 美しさ、繊細さ、荒々しさ、非情さ、それらに満ちあふれた世界はとて魅力的だ。しかしまたそれは命がけの世界でもある。
 アラスカでは1日で秋から冬に移ると書かれているが,本当に短い期間だからこそよけいに美しいんだろうなあ。

1999.1.31

 「ノザンライツ」は,

アラスカのフェアバンクスに住むジニー・ウッドとシリア・ハンターの2人の創世記の女性パイロットの話を聞くことから始まる。飛行機に興味を持ち,第二次世界大戦中,空軍での飛行機を運ぶ仕事から,終戦後アラスカへオンボロ飛行機を運ぶ仕事を引き受け,最終的にアラスカに住むことになる。彼女たちの話を聞くことがすなわち,アラスカの歴史を遡ることになる。
 人々のために飛行機で荷物を運ぶ,ブッシュパイロットの時代から,シリアとジニーはマッキンレー国立公園のワンダー湖の奥に,キャンプ・デナリを建設する。これがパイオニア時代からのアカスカの歴史的なロッジである。1952年のことである。キャンプデナリは,未明のアラスアでの一つの源になって行く。
1956年,シリアたちはアラスカ自然協会を作る。協会の最初の目的は,北極圏野生生物保護区のラインを地図上に引くことにあった。また,ユーコン川のランパート渓谷にダムを造り,アメリカのために500万KWの電力を発電する計画を阻止することに成功する。
 プロジェクト・チェリオットというアラスカを核実験場にしょうという計画があった。アメリカインディアンと共同してその反対運動を通して,始めてアラスカ先住民たちが1つに結集していく。環境への影響が大きく,結局運動は成功し,アラスカの自然は守られる訳だが,その運動の中で,アラスカを去って行く人もいた。
 1976年,シリア・ハンターは女性として始めて,ウイルダネスソサエティの会長に就任しワシントンDCに出てゆく。

 1968年北極圏プルドー湾大油田が発見され,1971年原住民土地請求権解決法が制定される。アラスカの土地は,1867年にロシアからアメリカに譲渡された時,”原住民は,現実に居住し,または使用している土地の利用は妨げられないが,その所有権を取得する条件については将来の議会に立法を委ねる”としか定められていなかった。
 1971年のこの法律によってエスキモーやインディアンのアラスカ先住民族は,有史以来始めて個人が土地を所有した。が時代の近代化の流れとともに,この土地を売る者も現れてきた。

 しかし,この土地制度に参加せず,リザベーションという自分たちの自治権を獲得し,連邦政府の補助金を拒否し,アメリカ合衆国の資本主義に組み込まれる事を拒否したアークティックビレッジという村もあった。
 1980年アラスカ国有地自然保護法が成立し,42万平方kmを自然保護区に指定し国立公園野生生物保護地区として連邦政府の管理下に入った。 

 アラスカの時代とともに時は流れ,シリアとジニーも80才を越えた。2人の老いを感じるようになった星野さんは2人との思い出の旅を計画する。シーンジェック川を一緒に下る旅を。

 「年齢を超え,私たちが大切な友人同士だったのは,アラスカという土地を,同じ想いで見つめていたからだろう。シリアとジニーは,ずっと遅れてこの土地にやってきたぼくに,何かを託すように語り続けてくれた。そしてシーンジェックの旅は,ぼくが最初で最後に分かち合う,二人の物語になるような気がした。」と星野さんは書いているが,1冊にまとめられたこの本のあとがきを,シリアが書くことになってしまったのは運命のいたずらだったのか・・・。

 シリアとジニーは,自分たちの辿った足跡を星野さんに託すことによって,後を引き継いでほしかったと思うのに・・・。

2000.3.12

 2001年12月シリア・ハンターも亡くなった。アラスカに特別の思いを感じて、住み始めた人々もまた歴史という時代の流れの中に埋没してゆくのか・・・。自分が迷うことがあった時には星野さんの本を読み返してみることで何かが見えてくるような気がする。

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