仏母寺                              

日時   H14.9.23
天候   晴

佛母寺

仏母寺は元禄年間に創建され、本尊は延命菩薩を安置する。五百羅漢など総計 200余の仏像を安置する。

勝山俳句発祥の地と言われる。
藩主小笠原候など文人墨客が宿遊の地。

 

本堂


 
 
 
 
 境内には紅葉の木が多く、紅葉の時期には楽しみ。
 新しい庫裡の清楚な佇まいに、清新な空気が漂っている。
 清潔な、心を正されるような不思議な雰囲気を持つお寺。
 不思議な懐かしさと、暖かさも感じられる。


 

正面

仏母寺を正面から見る。
禅宗の曹洞宗のお寺。
住職は代々、永平寺の隠居寺のようなお寺とか・・・。
こじんまりとしてはいるが由緒のあるお寺のようだ。





石碑 






禅宗のお寺らしく、葷酒山門を入るを得ずと書かれている。
石碑が苔むしてかなり古い・・・。

 


句碑境内にある松瀬青々の句碑

晝ゐれば樫鳥なきつ竹の中
                 

青々は本名を弥三郎、船場の薪炭商の長男として生まれた。本名は弥三郎、北浜上等小学校を卒業後、丁稚奉公や呉服行商をしたが、そののち、第一銀行大阪支店に入社した。幼少のときから漢詩、詩歌を学び、俳句を学び、新聞や「ホトトギス」なとに投句したのがきっかけで子規と会い、明治32年勤めていた第一銀行を辞めて上京し1年ほど「ホトトギス」の編集に従事した。明治33年大阪へ戻り帰阪後は大阪朝日新聞社に入り朝日俳壇の選句を担当、大阪に活況をもたらしたた。明治34年「宝船」(のちに「倦鳥」と改題)を創刊し、没年までこれを主宰した。また、句集『松苗』『妻木』などを発刊した。松瀬青々の俳句は、清澄な主観的人事句にすぐれ、関西の高浜虚子と言われ、大阪俳壇の基礎をきづいた。昭和12年没。

人間の心と自然の心とが、同じ琴線の上で奏づる、その声が俳句である。

                      松瀬青々

 

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