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僻村塾記録
裾濃の海の藍 高橋治さん 真野響子さん 新垣幸子さん  H15.9.4
 

「星の衣」で高橋治さんが描いた沖縄の、八重山上布を再興する女性のモデルとなった新垣さんのお話。高橋治さんと真野響子さんも参加しての僻村塾。今年6月、銀座の和光ホールで第2回目の個展を開いた新垣さん。

 高橋さん
 先日歌舞伎を見に行って、隣に座った人が新垣さん作の着物を着ていた。新垣幸子作とすぐにわかる着物。
 開拓者は常に不遇である。宮古上布は麻を黒に近い藍色に染めた物で、八重山上布は白い糸に八重山特有の絣模様を織ったもの。必ずしも地色は白とは限らないようだ。古文書からの研究が始まり、(復元を通して)色彩の魔術師と呼ばれている。
 おととい風の盆にご案内した所、和光での個展を見たと言う人が何人もいた。 
 これが牛首紬だという物は白峰の誇りとして伝わって行くが、牛首の○野○子があってもよいと思う。
 
 新垣さん・・・平成7年に和光ホールで第1回目の個展を開催。
 保険会社に勤めていたが、旅をしてきても何も変わらない日常。
 焼物が好きだったが、男の仕事で女には不向き。
 沖縄本島の大城しず子さん(染織・首里織)に出会う。人柄に惹かれたが、弟子の順番待ち。
 研修を受けて八重山に戻った。八重山は苧麻(チョマ)を紡ぐ人が多い。
 苧麻を糸にして売ったり、自家製のものを織る。染料を糸に染める。
 縞(かすり)・・・たてすじ
 赤縞 クール ヒルビ 染料
 薩摩上布(島津藩)・・・実は宮古上布・八重山上布だったという歴史がある。
 明治21年石垣島に「高機」が始まる→いざり機(座って)
 明治36年 15才〜49才の女性人頭税として布を織って納める。
 27才から機織りを始める。
 文献に紺縞上布(藍で染めたかすり、かすりが藍染めされている)・赤縞上布→博物館になし。日本民芸館に八重山上布あり。
 朱・水色・黄・・・王家の色 薩摩藩が要求→色がはげやすいという理由でやんわり断わる
 図案 山桃 クール 茶色で染める(シャリンバイの媒染)泥染で深い茶色を出す
 日本民芸館の復元・・・2枚同じ物を作る 紅花・・たらは島が産地 久米島・・・絹 宮古・八重山・・・麻 
 明治中期 絹が入って来る 王家に止められた

 からむしの織物  いら草・・・織物の原料になる 葉を落とし、皮を剥ぐ
 わざ・織り方も途絶える・・・文化は再生させる努力がないと無に帰ってしまう
 琉球藍・・・古文書からの再生
 インド藍・・・豆科、合歓の木のような形


 南蛮こまつなぎ
 
 大工さんに機(6〜7万円)や道具を作ってもらう
 くくり染め 地くくり・・・芭蕉布 税金として納めるには時間がかかる
 高機・・・良い染料

 模様・・・つめ型・まゆひき・ほたる(星かすり)・市松・
 染料・・・茜(すおう 南蛮貿易で)・紅花
 縮・・・白無地・下着・祭りののろ・テサージ(飾り)
 花織(与那嶺島)・・・夏の衣装・薄い方がよい
 花蔵織り・・・呂ともじり市松
 大柄・・・打ち掛け・広袖(耳が生かされている)
 
 沖縄の宮廷の衣装・・・高松塚古墳の衣装そのまま
 チョゴリの下に付ける・・・襞が多い
 かすり・・・御祝いの席に着てゆく
 苧麻・・・40〜50日で収穫できる 春・秋が柔らかい光沢のあるよい糸ができる
 御祝い・・・12年に1回
 
真野さん・・・ハイビジョンの沖縄の番組で八重山に行き、新垣さんにお願いして恋人を待つように1年待ったら着物ができてきた。
 この着物に合う帯がなかなか見つからなかったが、「ちゅらさん」の撮影で沖縄に行った時にまた帯をお願いした。
 誰一人持っていないようなどうして織ったのか解らないようなものが多い。
 インカ・・・不思議な力を持っているので想い出がある。
 名前がなく品物だけ残して去ってしまった人々がいる。名前もなく織り方も持って行ってしまった人もいる。
 作家という立場に立った作り方あり。
 先生と新垣さんの無名時代の出会いがなかったら、私の八重山上布の物語りはなかった。
 力のある織物は底辺も個人として頂点を極めた作家もきちんとしている。→沖縄は栄える、新垣さんを越える人はいないが、追いかける人はたくさんいる。
 ある時宮古織の反物がダンボールいっぱい先生から送られてきた。妹にも電話して買えと・・・。
 国の重文指定されているが指導者は80才〜90才。明治時代ドイツの博覧会で金賞をとった誇り大。
 
高橋先生・・・ごく普通の人が人より少し努力すればかなりなことができる。
 もうちょっと高みに登る物を作る。
 何気なく袖を通す物にロマンも歴史もあり。
 
 

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