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僻村塾記録へ


「わななく民の心を直視する」  講師 桑原史成氏
                                       H16. 9. 4 白峰村望岳苑

1936 島根県津和野町(旧木部村)に生まれる。
    本名、桑原史成(くわぱらふみあき)
1955 島根県立津和野高等学校卒業。
1960 東京農業大学卒業。
1962 日本写真批評家協会新人賞を受賞。個展「水保病」に対して。
1965 講談社写真賞を受賞。「韓国」(「太陽」「週刊朝日」掲載)
1971 日本写真協会年度賞を受賞。写真集「水保病1960〜1970」
1982 伊奈信男賞を受賞。「ドキュメント水保、韓国、ベトナム」


進行役 高橋治氏  

 今回僻村塾は2回目(6年前)。
 今年、風の盆に高橋先生に呼んでもらった。
 高橋先生との共通したテーマが3つある。
 水俣病・・・高橋先生は戯曲「告発」(小野宮吉戯曲平和賞(昭和45年)「告発」作・演出)、シナリオを発表、表紙の写真。
 ソビエト連邦崩壊の時に居合わせたが、高橋先生はロシアのシベリア出兵
 ベトナム戦争・・・滞在は一緒、高橋先生は「地雷」(昭和58年上半期直木賞候補作品)

 映画は作り物をドラマにして行く前提、嘘が許される
 文章は小説・フィクションが書ける。あったことを抹殺できる。ノンフィクションの書き方もある。嘘と真実の両方あり。
 写真は嘘を出すと社会的に許されない。ニュース・ドキュメント。広告写真にはヤラセもある。
 
 東京農大土木課3年生の時、写真専門学校夜間部に1年半通う。
 1960年に卒業し、就職を止めた。
 フリーのカメラマンになるには作品を持って出る必要がある。
 社会を震撼させるようなオリジナリティーのある作品を、どういうテーマを撮るか、人のやっていないもの、器の大きいテーマ。
 土門拳・・・広島の被爆・長崎の原爆 人の手のついたテーマには行かない
 
 1960年5月25日実家に帰るつもりの電車の中で週刊朝日の水俣病の特集の記事を目にする。
 記事を読んだ時に感じるジャーナリストとしての感受性、これだと思う物があった。
 一つの出合いが人生を変えることがある。
 朝日新聞記者の紹介で熊本大学医学部教授・水俣市立病院長に会う。
 病院長の「写真はいったい何ができるのか?」という問いに、「写真家を志望、水俣病を撮ることで写真家の登竜門になる。病院の中を撮らせてほしい」と答えたら、「よかですたい」という返事が返ってきた。それで病院内の撮影が許可された。
 後年院長が「貴方はその時正直だった」と言っていた。

 水俣病とベトナムのスライドを15分ほど見せていただく。

 イラク人質事件について
 個人の情熱は高い、正しいことを正当化することが大きい。
 国が何をしてくれる?、国に泣きつく所はない
 三人の方のどこかにまだ甘えがある
 写真家たち、イラクにどのくらいいたか?イラクに行く人は写真表現をいじれる程度の技術力と英語力があればできる。写真学校を出た人たちは行かない。

 高橋先生より
 戯曲「告発」はフランス語に翻訳されて1971年フランスで上演された。
 フランスの人になぜ水俣病のこんな写真が残っているのかと言われた。おそらく神が桑原を水俣に送ったのだろうと答えた。
 一枚の写真の訴えるもの、胎生の子ども、眠れる美女、美しい表情、長い睫毛、水俣病でなかったらどんな幸せな人生を送ったか。あの睫毛を撮る所に桑原史成あり。
 桑原さんに注文をしたことがある。砲弾のないベトナムの写真を撮ってくれ。混血の孤児の少年が妹をおぶっている写真、顔に火傷を負った少年、これから先の人生を考えさせる。
 写真はどれだけの力があるか考えさせてくれる。文章で表現しようと思うと長いものになってしまう。
 戦争中に戦争に関係ない住民の写真を撮った人はいない。
 イラクの写真「自由への逃走」でピューリッツァー賞を受賞した沢村教一さんの泥の中を泳ぐ親子の写真に一つだけ不満がある。どちらからどちらへ逃げているのだ、この写真には主語がない。岡村昭彦も同意見だった。
 沢村教一が撮りたかったのは、人間が自分の選択以外の道で強制以外の所へ向かって逃げているのではないかとも思う。撮ったこと以外の深いものを伝えてしまう。
 文章は聖書に書かれていることは嘘と思われていたが、本当である証拠がたくさん出てきた。
 人類は発生と同時に嘘と誠を使い分けている。

 桑原さん
 「風の盆恋歌」39刷、風土に取材の地に足が着いている。
 小説のタイトルが変わることはあるのですか?「崖の家の二人」→「風の盆恋歌」

 高橋先生
 ままあること。新潮社の敏腕女性編集者が「風の盆恋歌」しかないと言った。
 
 桑原さん
 「風の盆恋歌」が何故映画にならないのか?

 高橋先生
 何人かの監督がシナリオは書いたが、お金が集まらなかった。あの大きな行事を再現するには莫大なお金がかかり、無理。
 映画にできないことを書いた。雨のおはら・・・三味線に雨は大敵で嘘。
 岸恵子さんにやってほしいたった一人の女優。しかし岸さんから相手の男優は誰かと・・・。
 木村功さんをあの世から呼び戻す?森雅之?

 桑原さん
 モデルの訴訟問題について
 一度だけクレームがついたことがある。
 撮る人を傷つけている。私生活を公表する、肖像権の侵害になる
 水俣病出版の時、本人に承諾をとるべきか迷ったが、結局写真集を持って挨拶に行った。
 肖像権の問題でユージン・スミスはお風呂に入れる写真を発表できなくなった。
 
 高橋先生
 社会派のカメラマンが風の盆をどう撮るか?今後の活動に期待!

 質疑
 写真で何ができるのか

 シャッター 55万カット 40年写真を撮っている。
 自薦は1000カット、100カット、10カット、1カット残せたら最高。
 津和野市桑原史成写真美術館で常設展をやっている。
 自分の残りの人生はサッカーではロスタイムに入っている。
 一枚の写真、一冊の写真集が残せる事で十分。
 自分の作品で、患者の生活が変わるかもしれない。ドキュメンタリーの黄金時代(1950〜2000)、発表しっぱなしだった。
 個人の歴史へのささやかなメッセージ。 

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