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「国立公園の歴史」  講師 瀬田信也氏
                                       H17. 9. 4 白峰村望岳苑

 高橋先生より瀬田さんの紹介・・・政治家は官僚が悪いと言うが、優秀である。
 瀬田さんのように夢を追いかけて環境省でした仕事、長崎の温泉場の作り方・上高地の車の規制などの努力をされた。
 個人としての仕事もすばらしいが、国家公務員としての仕事も同じ。
 


 配布したパンフレット「グリーンレター」は富士フィルム グリーンファンドの助成で年1回パンフレットを作っている。
 雑誌「国立公園」は表紙に絵画を使っていて、これらの絵79点を持っている。
 これらの絵は常設展示をしていなくて、美術展に貸し出している。
 昭和4年2月15日に第1号が発行された。
 昭和6年に国立公園法ができ、昭和9年に雲仙天草、霧島屋久、大山山、中部山岳、阿寒、日光・阿蘇くじゅう国立公園が制定された。
 昭和11年十和田八幡平、吉野熊野、富士箱根、大山隠岐国立公園が制定。
 国立公園制定を盛り上げるために有名人に絵を描いてもらう。
 安井曽太郎「十和田湖」、岡田三郎助「高森峠より見た阿蘇」、梅原龍三郎「 朝の仙酔島 」、藤島武二 「屋島よりの展望」 を描いてもらった。
 三越で展覧会売却してしまった絵、国立公園全国協会が持っていてニューヨークの博覧会後厚生省の火災で燃えた絵がある。
 昭和15年6月20日落雷により大手町木造数棟が火災、消防士2名が焼死するような大きな火災だった。
 伊豆上原美術館に「十和田湖」。旅行が嫌いで初めての国内旅行で十和田湖がすばらしいと描いた絵。昭和28年全国協会から再度依頼したが体が弱く書けなかった。
 昭和28年再度依頼林武「十和田湖」、坂本健次郎「暁明の根子岳」。

 名所とは・・・名に立つ歌に読まれる所をいい、歌に読まざる所を旧蹟という(大言海)。
 公園・・・明治6年太政官通達 「三大都市をはじめとする人口の集まる地域にある由緒ある景勝地、名所地又は著名な人の旧跡等で、 古来より人々が遊観の場所としていたところであり、かつその土地が国民が共に楽しむ“公園”」・・・都市公園・自然公園
 志賀重昴「日本風景論」明治27年(1894)に日本風景の特色を書いている 
 1 気候・海流の多変多様なる事
 2 水蒸気の多重なること・・・霧・樹氷
 3 火山岩の多々なること
 4 流水の浸食激烈なること
 江山洵美なるわが卿 瀟洒 花 跌宕(てっとう)・・・しまりがなくだだっ広い、形・雰囲気が定かでない

 昭和2年4月6日 日本八景決定 東京日々・大阪毎日新聞が人気投票を行う(富士山除く)
 渓谷(狩勝峠)・河川(上高地)・山岳(御岳)・温泉(別府)・海岸(室戸岬)・瀑布(華厳の滝)・平原(木曽川)・湖沼(十和田湖)について49人の学識経験者が決定。
 日本の国立公園のルーツ・・・大自然の風景地を指定して守る
 30年代のロープーウエイ・スカイラインは森林を伐採
 40年代は自然も動物も保護 38年〜41年 阿寒・釧路湿原・・・動植物の環境保護
 釧路湿原の夕陽を眺めるツアー・・・自然のリズムに合わせた旅行になっていない 夕陽の沈む時間と夕食の時間等
 自然の姿が名前になっていない・・・わかりにくい(中部山岳国立公園)
 アメリカは自然をそのままの名前で・・・イエローストーン・グランドキャニオン国立公園
 世界遺産・・・屋久島・白神山地・知床・熊野(地勢学に会わせた名前)
 白神山地・・・マタギの人に案内してもらう。利用を前提にしていない。白神山地全部ブナ。
 
 登山という近代的なレクリエーションの対象・・・道の整備・拠点・ジグザグの道・・・やさしくなっている
 多くの人が利用して道に迷わない、誰でも安全に行ける、吊橋
 国立公園の入口が明確でない、色々な道路が横切っている 阿寒湖横断道路
 フランスの国立公園の道・・・ガードレールがない→own lisk
 日本の国立公園・・・レンジャーと出会えない

 日本人はScenery(風景)には無関心(チェンバレン)
 国宝那智の滝図(根津美術館蔵)・・・人間が見る視点ではない

 市町村合併・・・生活の中で全てある必要があるのか?
 フランスのコミューン 40000→36000に減った  日本 80000→3256
 隣村と行ったり来たりしてもよいのではないか
 アメリカ 人口○人と書いてある。住んでいる所の誇り、学ばされる所がある
 町村合併ではなく町村分割ではないのか?
 間違ったら正しくしよう、間違いを勇気を持って認める必要がある
 

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