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僻村塾記録 H18.9.24 15:00〜

星野道夫の遺したもの

  湯川 豊氏

「スイッチ」編集長、新井さんより
「スイッチ」では4回星野さんの特集を組んでいる。
雑誌では一人の魅力的な人の活動をインタビューで伝えたい。
1994年7月号の「スイッチ 狩猟の匂いを我々は嗅ぐことができるか」で特集
インタビュアーは湯川さん。東京のとある場所で5時間ほど。
湯川さんと星野さんの付き合いは、1978年アラスカ大学野生生物管理学部入部時から。
文芸春秋社のアルバイトで「文学界」「諸君」の写真や原稿取りなどの仕事
「旅をする木」は忙しい人なので、湯川さん宛てに手紙を書くような形で、アラスカの人・動物・風景等を書いてもらう。
1冊の本ができることの幸福を味あわせてもらった
八ヶ岳でイワナを買い、火をおこしてふるまう。
桜のチップを燃やし、木々のにおい、星野さんの悠久・・・幸せな時間を過ごした。

星野さんのスライドを直子夫人より借り受けて見せていただく。
クマ・ムース・ムースの解体・ムースの角・・・

湯川さんより

没後インタビューを全て収録したものが今回出版された「終わりのない旅〜」
「通り過ぎる狩人」で何のためにシャッターを押すのか?と聞いた。
珍しく、「ちょっと違う。決定的な一枚を意識していない。アラスカに人が暮らしているその目線で見たい。アラスカ カリブーのイメージを自分で作りたい」
ということを話した。カメラマンとして特殊。
イメージを形作ってくれたものを撮っている。

ごく普通の人間が持つ感覚
生きていることの不思議さ→アラスカは何かが見えやすい。
破格の思想みたいなものが背景になっている。
どこか素人っぽい写真・・・動物カメラマンでこのような思いで撮る人はあまりいない。

昨日の夕方へ僻村塾へ曲る登りの道で熊3頭(親熊と小熊2頭)と遭う。
5mくらいの距離。野生の熊を見たのは2回目。くるみの木に登っていた。
熊の話からしようと思っていたので、何かの因縁を感じる。

7月神沢利子のエッセイ集「同じうたをうたい続けた」を読む。
神沢利子は児童文学の長老、「チビッコカムの冒険」「流れのほとり」などの代表作。
幼少期、南樺太在住。結婚生活を横浜で始める。
重い結核、夫は無能、横浜でこじきのような生活を送る。

30代始め宮沢賢治の「なめとこ山の熊」を読み、何かを書くことのききっかけとなった。

「なめとこ山の熊」・・・淵沢小十郎は母と7人を養うために熊狩りを生業とする。
熊に親愛感を持ち、熊の言葉がほとんどわかる。
ある時大きな熊を撃とうとするが、2年待ってと言われる。
2年後の春、家の前で血を吐いて死んでいる熊。
熊の毛皮を売りに町へ行くが、買い叩かれる。
熊に生まれたことを因果だと思い、次に生まれるときは他のものに・・・
        人を考えせしめる台詞
やりたくないが生命維持、母子を養うために熊を撃つ。
人間の条件を背負って生きている猟師。
深い悲しみがある。人は他の生物を殺して生命を維持するものをもらう。
1月の真冬に熊を撃ちに行き、片足手負いの熊に殺される
熊は山の上に小十郎を運び、熊に囲まれて終わる。死によって熊と交感する。

神沢さんは、他の生物から命をもらって生きているという賢治の自然観から「チビッコカムの冒険」を書き始める。
広大な風景は日本では珍しい、子どもの頃読んだ人が多い。
「ゲド戦記」のように広大
アイヌの熊祭り・・・熊は神から遣わされてきたという考え方、魂送り
この本を読んで、星野さんを思い出した。
宮沢賢治・・・岩手 神沢利子・・・樺太 北方的自然観

星野さんの言葉で辿ってみたい
デナリ(マッキンリー)山のロッジでウイロー(星野さんの友人)がアルバイト
父母はアメリカの下の州からやってきた白人で狩猟(カリブー・ムースを撃って)で生活
カリブー・・・普通の人は可愛いなという感想、ウイローは美味しそうと思う。
文明人・観光客と全く違う感想
先住狩猟民のポトラッチ体験 ポトラッチ・・・ある家族が同属に大盤振る舞いすること
(エスキモー・インディアンに共通のもの)
ポトラッチの聖なる食べ物はムースのスープ
主催の家族がムース狩に行く。ムースは馬より大きく3〜4人の家族の1年分の肉となる。
ヘッドスープ、鍋に入れ煮込む・・・その時ムースは人になり、人はムースになる
「旅をする木」のビーバーの民 アサバスカンインディアンの古老の話
人々は生き延びていくために現在を語る
オールドクロウ・・・カリブー
ユーコン川・・・キングサーモン 勇敢
チェルキークィック・・・ビーバー 話し方が静か
食物に生き方が似てくる
生命を依存している動物に似てくるということを信じて疑わない自然観
より深く大地を関われる。離れると自然から離れていく
古老の言葉か星野さんの言葉かわからない
言い伝え、詩・・・「魔法の言葉」金関寿夫訳

ずっとずっと大昔

なりたいと思えば人になり



言葉は急に力を持ち

世界はただそういうふうになっていたのだ

大昔、人と動物は同じ言葉を話していた

人は動物になれたし、動物は人にもなれた

食べることに関してムースの言葉は符合している

エスキモーにとって、動物・人間相互互換性があると感じた時にある程度理解できる
先住民の世界観をまとめて語る
「ビーバーの民」誰を犠牲にして生きるのか
約束とは血のにおいであり、悲しみと置き換えてもよい。
星野さんが到達したものは先住民と共有した世界観が語られている
人間が生きていく悲しみ、そのために神話が産まれた。自分の位置を測定するために、世界の成立を語る神話を持つ。安心したい・慰めを得たい。
神話を持たない民族はない

古事記は滑稽・雄大な風景。
日本武尊はいつも父に追われる。だます。どこか哀しい。けなげ。
英雄伝説の中にも現れている
自然を見、考える。熊の子がくるみの木に登っているのを可愛いと思う。
本当に自然を見たり、自然の中に生きるとき、原点に返って考える。
植物・動物の生命を奪って生きているということを実感すること。
アラスカ先住民の半分くらいは今でも狩猟生活。
スーパーで食物を買って生きている、暮らしている生活は、人間と自然の関係が見えなくなっている。それは人間の歴史の中では新しい。
近代社会が生まれてからは、位置測定ができなくなった。
ネイチャーライフ(自然記)の翻訳物を読んでいる。
本当の自然の中に生きるとは、という先住民の自然観を捉えて、星野さんが写真・文章(日本語でわかるよう)に書いてくれたことは稀有なこと。
星野さんから受け取るのはそういうことである。
現代は原点に立ち返ることができないので、窒息しかかっている。
生命連鎖、生きること死ぬことは連続している
今の時代は死と言うものをどう死んでいいのかわからなくなっている。
病院で心の準備ができていない。
生命が維持される原点に立ち返ることは死も考えるべき。
死はもっと軽い、大げさではない。
文明は死を大げさにすること。死については日を改めて語りたい。

星野さんは非常に突っ込んだものを撮りたかった。
何でこういう写真を撮るのかわからないほど深い。

Q 文明の中に宗教はどう位置付けられるのか?
A むずかしい。エスキモー・インディアン万物に霊
  キリスト・釈迦は時代が成熟してからできた宗教

Q 星野さんの文章

A アラスカ大学の頃、自然が美しい・広大な手付かずの自然を語っていた。
「アラスカ 光と風」の中にいきいきと書かれている
アラスカで人間が生きていることに気づいて、どういう意味があるのか考え始めた。
食べることを通して世界を発見していった。
食べることが好きで、人の二倍食べた。トンカツ好き。
文章を書くことについては、エッセイスト、大読書家。
キャンプに3冊くらい持参し、繰り返し読む。愛読書を繰り返し読んだ人の文章。

「デルス・ウザーラ」が好きだった。
「イニュニック」を読んで、スゴイ本を書くなと思った。
本の情報交換、池澤さんの「スティルライフ」「夏の朝の成層圏」を勧める。
   

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