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「風景との出会いを楽しむ」  増永迪男氏 於:勝山市立図書館

増永さん

 今日は読書会ということで、山の文学を中心に話を。
 山の文学も芸術の一分野。自己表現は新しい方向へ脱皮して行く。
 これまでにないものという開拓が文学をわかりにくくさせている。
 19世紀のゴッホの絵は、大衆には受け入れられなかった。
 モーツアルトやベートーベンも18〜19世紀に生まれた。夏目漱石も明治時代の作家。
 
 山の文章も同じ。白山に登って感動したという文章は誰も読まない。
 山の文学は登山が基本。登山の記録、報告。より高くより厳しくが宿命。
 よい登山がしにくくなっている時代。エベレストに年間300人登る時代。
 近代登山は19世紀スイスアルプス マッターホルン4500mにイギリス人エドワード・ウインパーが登った報告書「アルプス登はん記」 が最初。
 
 日本では、福井県の「白山紀行」が1700年元禄時代に書かれた。
 1668年寛文18年福井藩と加賀藩の間で、山頂がどの藩かの争いがあり、幕府寺社奉行の裁きの結果福井藩となる。
 1825年文化12年 野路如謙が「越前藩名跡考」の中で紹介。・・・朗読。
 以後明治まで「白山紀行」を越えるものなし。

 明治38年 日本山岳会発足 イギリス人ガウランド・ウエストンなど
 信仰の対象の山以外は初登頂。小島烏水全集16巻(福井市市立図書館蔵)山岳会創立メンバー
 南アルプス北岳源流の文章・・・朗読。
 アーネスト・サトー(通訳)息子竹田文吉・・・尾瀬発見者(植物学者)山岳会創立メンバー
 初めての登頂・季節を変えて(冬季)・険しい山

 1945年ヒマラヤ8000m級の山が13座あり。登頂不可能かと言われた。
 戦前イギリス領でイギリス人が8回挑戦。
 昭和25年フランス人モーリス・エルゾーグがアンナプルナ登頂 8087mに成功。
 凍傷のため指を落とし、口述筆記「アンナプルナ登頂」を書いた。全世界でベストセラーとなる。

 山の文学は感動がないと書けない。
 深田久弥(明治37年生まれ)「日本百名山」は山の世界ではどういう本か?
 「改造」の編集者、文学者。山を通して物語を語ることにした。
 登山道のある山を楽しみたい人に支持された。
 「荒島岳」を朗読。・・・文学的な表現。

 増永さん1937年生まれ アフガニスタンの山に登る。王様がいた時代。
 パキスタン・カラコルム〜ネパールへ。
 第四次中東紛争の時代、スエズ運河不通。
 ネパールは鎖国、パキスタンは入国禁止。
 アフガニスタンの未踏峰の山へ。パキスタンからトラックで三日がかりで入国。
 四人のチームのリーダーだったが、何とかなると思っていた。
 地図を複写してもらうのに、アンモニアと感光紙を持ってきたら焼いてくれる・・・探した。
 馬に荷物を積んで10日間歩く。民族の争い・・・。
 山はあまり新鮮ではなかった。福井の山をどれだけ知っているのかと考えた。

 帰ってから、福井の山を登ることにした。1000m以上の山が81座ある。
 登っている人がいなかった・・・「霧の谷」「霧の谷U」・・・初めて。
 昭和45年から〜。「福井の山150」を出版。
 風景との出会い・・・福井新聞に連載。・・・はっとさせられる景色、そういう写真を頭の中にスチール写真のように記憶。
 連載88回で終了。「金の流れの九頭竜川」・・・朗読。
 風景と自分との関わり・・・オリジナリティがある・・・初。
    

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