「終戦のローレライ」


 映画「ローレライ」を見た。
 戦争ファンタジーという呼び方は不謹慎なのかもしれないが、もし広島・長崎の次に第三の原爆を落とす計画があったとしたらという想定のもとに書かれた福井晴敏氏の「終戦のローレライ」を映画化した作品である。
 文庫本にして4冊、二千八百ページもある原作をわずか2時間の映画に作られているので、省略されている部分が多い。
 という訳で原作を読みたくなった。

 第二次世界大戦末期、ナチスドイツによって開発されたローレライシステムを搭載した潜水艦がドイツ降伏後、日本海軍に接収され戦利潜水艦「伊507」と呼ばれる。この伊507を中心に物語は進められていく。
 海軍のエリートコースを歩む浅倉大佐は、日本民族を滅亡から救うためにあるべき終戦の姿を、国家としての切腹という荒療治を断行することで解決しようとする。
 ローレライシステムをアメリカに渡す条件に第三の原爆を東京に落とす約束をさせる。

 戦争を終わらせるための荒療治として、国家の責任者のいる東京に原爆を落とすことで、戦争を終わらせようとする浅倉大佐の考え方には納得できないと考える人が多いだろう。
 罪のない人々を巻き込んだ広島・長崎に続いてさらに大きな被害をもたらすことがわかっている結果を、日本人から提案する考え方は狂気としか言いようがない。

 浅倉大佐によって絹見(まさみ)が伊507の艦長に任命される。
 ローレライシステムの中枢、ナーバル回収作業中に浅倉大佐のたくらみを知った絹見は、第三の原爆投下を阻止するためにB29の出撃地テニアン島に向けて出発する。
 浅倉大佐と絹見館長という二人の対照的な人物と、終戦間際の昭和20年八月という設定が重要な意味を持つ。
 戦争末期のほとんど壊滅的な海軍の中で、伊507は正式な軍籍もないまま、多くの人命を救うための戦いを図らずも始めることになる。

 ローレライシステムは、パウラという一人の少女の感知する映像を、ヘルゼリッシュスコープにそのまま映し出す画期的なシステムである。
 弱点は敵艦を撃沈すると、敵兵一人一人の死に際の意識や痛み・苦しみもパウラが感知して、システムがしばらく使えなくなることである。
 その弱点を克服するための最終的手段として、薬をパウラに飲ませ個人の感情をなくし、永久に機械の一部として使うという選択を、伊507の乗組員全員で拒否する。
 感情を持った人間として扱われたパウラとその兄のフリッツは、伊507と運命を共にしようと決意する。

 テニアン島沖の海戦で最後の魚雷も撃ちつくした後、ナーバルを切り離し、パウラと折笠の若い二人に生存の道を探せという絹見艦長の言葉を残して、伊507は敵艦の中へ飛び込んで行く。
 何のために戦うのか分からないのではなく、明確な目的を持って戦い、そしてその目的を果たして死んで行く伊507の乗組員の一人一人の最後は読んでいて涙が出た。

 終章では生き残った折笠とパウラの戦後の日々が語られる。
 今、日本の中にある平和は、戦争で亡くなった多くの人々の命の上に成り立っているということを誰も普段は意識しないが、この本を読んでいて強く感じた。
 だから沖縄返還の日、終戦記念日と折にふれ、そういう戦争の時代があったことを語り継いで行かなければならないのだろう。
 知覧やひめゆりの記念館に飾られた人々の遺影を見ることで、辛いけれど改めて戦争があったという事実を見つめ直すことが大切なのだろう。

 今の時代を生きた折笠が述懐する言葉、
「目の前の雑事に振り回されて、それだけで精一杯だった。
自由が腐ってゆくのを、指をくわえて見ているだけだった。
こんなちっぽけな人間を生き延びさせるために、艦長たちは死んで行ったのか?・・・《伊507》のみんなに。
おれはなんと言って詫びたらいいんだ・・・」
という言葉が切ない。

 それに対してパウラは、
「詫びることなんかないんじゃない。
あなたがずっと感じてきた痛みも、いま流している涙も。
そういうことも全部ふくめて、いま私たちは生きている。きっとね、それが大事なことなのよ。・・・」
と話す。
 そして、
「私たちが果たせなくても、孫やその子供、そのまた孫が果たしてくれるのかもしれない。
私たちはみんな、ひとりひとりが希望の種なんじゃないかしら・・・。
そのひとつがいつかまた大海に飛び出していって・・・。
私たちの想像もつかないような世界にたどり着くかもしれない。
考えただけでも楽しいじゃない。」
と語る。

 人間は愚かかもしれないが、過去の歴史から学ぶことは多い。
 過去の戦争の悲惨さ、辛さから目をそらすことなく、多くの尊い命が失われたことを忘れないように、愚かな過ちを繰り返さないように、だからと言って卑屈になることもなく、未来を信じて生きていこうという作者のメッセージが聞こえてくる。いつか戦争のない世の中がやってきて、昔々、こんな愚かな時代があったんだってと笑い話で語られるような時代が来るのだろうか?
 そんな時代が来るといいのだが・・・。

home