「時雨のあと」

 今日は朝から雨が降るので、こんな日には藤沢周平さんの雨の題名のつく短編集を読もうと思って、本棚を探した。
 雨の名前の付く短編集は意外に少なくて、「時雨のあと」「驟り雨」「時雨みち」の3冊、時雨の季節なので「時雨のあと」を読むことにする。

 昭和51年8月に立風書房より刊行されたが、手許にある本は新潮文庫昭和57年8月5日三刷発行のもの。
 「雪明かり」「闇の顔」「時雨のあと」「意気地なし」「秘密」「果し合い」「鱗雲」の7編が収められている。

 「雪明かり」は、昔読んだ時も好きだと思ったが、その印象は今も変わらない。人間にとって何が大切なのか、何に価値を置いて生きて行くのかということを考えさせられた。
 35石の古谷家から280石の芳賀家に養子に入った菊四郎が、異母妹の由乃と雪の降る夜に再開した事から物語は始まる。養子の条件として古谷家との親戚付き合いはしない、実家への出入りしないという約束が取り交わされており、二人の再会は13年ぶりになる。由乃は嫁に行くことが決まり、菊四郎も妻を迎える事が決まっている。
 その後、由乃は嫁に行った先で病気をし、心配した母親が見舞いに行っても合わせてもらえない。菊四郎は由乃を見舞いに行く。そこで流産の後ひだちが悪く、糞便にまみれやせ細った由乃を見付け実家に連れ戻す。その後健康を取り戻し、江戸に奉公に出た由乃を、菊四郎は家を捨て追いかける決意をするところで話は終わる。
 裕福だが家柄や対面を考え、自分を偽って生きていく生活と、貧乏でも家族がつつましく心を寄せ合って本音で生きていける生活。自分らしくある、自分を殺して生きるのではなく、あるがままの自分を受け入れてくれる人がいる生活、そんなことを考えさせられた。結局、人間の心構えの問題に帰って行くのだろうか。地位や対面・プライド・メンツといった外的な条件に対して、自分がどう対応して行くのか。自分自身を見失わなければ、お金や地位などに惑わされることなく自分らしく生きていけるのではないだろうか。何に価値を置いて生きていくのかを、改めて自分自身に問い直してみる。

 「果し合い」も武家物。庄司佐之助は美也の叔父にあたる。家の中ではやっかい叔父として、58まで部屋住みの生活を送っている。
 一人美也だけが大叔父を気遣い、肩入れをしている。その美也に縁談がおこる。相手は評判の良くない縄手達之助。美也には言い交わした松宮信次郎という相手がいる。大叔父との墓参りの帰りに、縄手達之助とその取り巻き連中に美也は絡まれる。
 信次郎と達之助の果し合いを大叔父に助けられ、二人は江戸に逃げる。大叔父は、その後始末を自分の死に場所にするつもりで引き受けるところで物語は終わっている。
 封建時代の家長制度は絶対で、今の時代からは考えられないほど色んな制約を受けて人々は生きてきた。様々な理不尽なことも、家格や身分で厳しく制限されていた時代。その中で自分らしく生きようとすると、その秩序からはみ出してしまう。

 「鱗雲」も武家物。

 

 

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