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雑記帳
  
音楽

今日は色んな音楽を一日のうちに聴いた。東儀秀樹さんの「TOGISM 2001」。笙でタイタニックの「My Heart Will Go On」なんて、せつないメロディーを奏でる、不思議な音色で心に浸みてくる。子守歌がわりにもなりそうな気が・・・。次に聴いたのは、ちゅらさんの最後の方で古謝美佐子さんの「童神」が使われていた。昨年の僻村塾で聴いた印象的な、とってもいい曲。そういえばCDを買ったんだった・・・(^_^)。10月にまた白峰村に来られるようなので、また行きたいな〜。それからシング・ライク・トーキングのCD、久しぶりに「Standing」を聴いた。この曲は本当に好きだな。恒平さんの曲と西岡恭蔵さんの「君の窓から」も聴いたし・・・。
何だかとっても豊かな一日だった。 

トークショー「えほんだいすき!」

<P> ハートピア春江で開かれた田中清代さんとどいかやさんのお話を聞きに行く。お二人とも笑顔のかわいい方だった。
田中さんは、「おきにいり」で1995年ボローニャ国際絵本原画展に入賞されている。女の子がお母さんに作ってもらったお魚のぬいぐるみのお話。実際に小学1年生の子どもが着られるぬいぐるみを作ったら好評だったので、大人用も作ったとか。商店街のお祭りでこれを着たら、高校生にも受けたというお話はおもしろかった。

ナスのビール漬

ナスのビール漬を教えてもらった。
分量  ナス 2KG  塩130g  砂糖250g みょうばん 大さじ1 ビール350m
ナスは半分くらいに切って、あとは全部一緒に混ぜて重しを押して一晩漬ければ朝には食べられます。甘辛い味で、けっこういけます。しかし、ナスだけではなくて、キュウリとか大根では美味しくないかな?またやってみよう。ビール大好きな人が、漬け物に使うなんてもったいない〜と言っていた。

ケイ・スカーペッタVSキンジー・ミルホーン

ケイ・スカーペッタはパトリシア・コーンウェルの検死官シリーズの主人公、キンジー・ミルホーンはサラ・パレツキーの私立探偵の主人公だ。
二人を比較するのは難しい。片方は規則に縛られた検死局の女性局長、片方は権力も何もない一介の私立探偵。扱う犯罪も片や凶悪犯罪、片や探偵調査。しかし、アメリカであっても女性が働いて一人で生きていくことの難しさはどちらのミステリーからも感じ取れる。

「気持ちのよい人」と言われる人の共通点

斎藤茂太さんの上記の本を読んだ。
「がんばるにしても、さりげなくがんばる、ゆっくりとがんばる、がんばらずにがんばる。このような妙技がついた人こそ、人生の達人といえるのではないか」と言う言葉が心に残った。
 一生懸命頑張りすぎている人は疲れる人で、80%くらいでやっている人の方がほっとできる所があっていいとか・・・。がんばらずにがんばるかあ〜。楽しみながらがんばる、遊びながらがんばるって実践できそうだなあ。

夜、お散歩をしていると、この頃はほたるがたくさん飛んでいる。草むらのある護岸工事されていない川のあたりにたくさんいる。田圃の中や、草にも止まっている。これからしばらくの間、目を楽しませてくれる。
一斉防除の農薬を散布するまでの間だけ・・・。
和泉式部の、
 「物思へば沢のほたるもわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」
などという歌が思い出されます。
今年もいつまで蛍がいるのか・・・。

メリーちゃん

ここの所うさぎの「メリーちゃん」が以前に比べて随分痩せてきた。歯が伸びすぎて、餌がうまく食べられなかったのが原因なのだが、歯を切ってもらった後も、やっぱりうまく食べられないで、今は触ると骨がごつごつするくらいになってしまった。もともと小柄なうさぎさんだが、他のうさぎより一回り小さくなってしまった気がする。うさぎは鳴かないので、じっとどんな境遇にも耐えている。それを黙って見ているのも結構つらい物がある。
悲しい予感があたってしまい、月曜日の朝冷たくなったメリーちゃんを発見。亡くなった原因は分からないが、悲しい・・・(-_-;)。

水芭蕉

取立山の水芭蕉を見に行ったのだが、途中に咲く小さな花も可憐で、人間の営みとは全く別の風景がそこにはある。最近読み返した星野道夫さんの「旅をする木」の中にも、日常の時間とは全く別の時間がアラスカの原野に流れていると書かれていた。
  日常とは全く別の時間、つまりは心のゆとりということになるのだろうか?目先のことに囚われないで、長い時間の中で、本当に必要か、何が一番大切か考えられる心を持ちたいと思う。

手亡

京都のお土産「彩乙女」をいただいて、その原料に「手亡」とあって、いったい何なのかという話になった。どう読むのか?何なのか?
インターネットで検索したら、「てぼう」と読んで、手忙豆・手亡豆は白隠元豆の1種であることがわかった。和菓子の白あんの原料にするのに最上級の原料であることがわかった。納得。
 しかし、インターネットって偉大だなあ。

わさび

昨日はあずまいちげの花を写真に撮ろうと裏の山へ行ったのだが、もうおそかったようで、花は散ってしまっていた。みやまかたばみ・いかり草・黄けまん・紫けまんなどが相変わらず咲いている。途中で白い花が咲いているのを見付けた。わさびの花らしかった。家で図鑑で調べてみたらやはり、わさびだった。で、昼食の一品に加えることにした。調理の方法は、

 1 ぐらぐら沸いているお湯の中に、わさびの葉っぱをさっとくぐらせる。
 2 まな板の上で充分に叩く。
3 ざくっと切る。
4 お砂糖を少し入れた蓋のある容器に入れて、しっかり振る。
 5 お醤油をいれて食べる。

ということだが、いかにわさびを怒らせる(刺激を与える)かが、辛くなるのに大切な条件だそうである。今回の家人の評はあまり辛くなかった・・・(-_-;)。

「胡蝶蘭」

胡蝶蘭の花が咲いた。一昨年の春に小さな双葉の苗を買った。それから主に週末に水を遣るくらいで、特にこれといった世話もせずに約2年が過ぎた。最近になって白い純白の花が咲いた。胡蝶蘭の純白の花は気品があってとっても清楚だ。たまに液肥を気が向いた時に遣るだけで、ほとんどこれといった世話もしなかったのに・・・。冬の夜間の温度管理が影響があるのかもしれないと思う。 

「iモード事件」

松永真理さんの「iモード事件」を読んだ。図書館で今日借りてきたのだが、一気に読んでしまった。リクルート社に勤め、雑誌の編集にかかわる仕事をしてきたが、NTTのiモードを創るプロジェクトに引き抜かれ、完成までの約3年間のことが書かれている。誰でも使える・ボタン1つでインターネットに接続できるという発想や、液晶画面の表示に縦6行×横8文字、バケット通信方式、HTML言語の採用などなど・・・。
 パソコンを使いこなす人には、携帯電話でインターネットは歯がゆい気がするのだろうが、パソコンが使えない人にとってはやっぱり画期的なことなんだろうと思う。

「洞窟の骨」

アーロン・エルキンズの「洞窟の骨」を読み始めた。今回のギデオン・オリバー博士は、旅行先のフランスでまたもや殺人事件の捜査にかかわることになる。フランス・ドルドーニュのクロマニヨン人が発掘されたアブり(洞窟)で人骨が発見される事件が起きる。その骨の鑑定結果からその人物の職業が特定され、被害者の身元がわかる。
殺伐とした殺人事件だけでなく、夫人のジュリーとのユーモア溢れる会話や、ネアンデルタールとクロマニヨンの論争や、フランス・ドルドーニュ地方の観光地も紹介されている。           

うさぎの歯

この間から、うさぎのぴょんたの前歯が2本伸びてきて、正面から見ても2cmぐらい見える長さになってきた。食べ物が、皮を引いた人参とか白菜・キャベツ・レタスと柔らかい物が多いのが原因のようだった。
それで、最初はヤスリで削ろうということになったのだが、ぴょんたを捕まえて削り始めたがあまりに嫌がるのと、口の中や歯茎を傷つけてしまいそうだったので、切ることにした。ニッパーで切ってもらったのだが、まだ少し長いようで、かみ切らないと切れないような物や固い物はやっぱり食べずに、柔らかい葉やペレットを主に食べている。カマボコ板や木ぎれを入れておくのだが、他のうさぎさんが囓っている模様(-_-;)。

「星野道夫の仕事 3 生きものたちの宇宙」

 前から欲しかった星野道夫さんの写真集の1冊を買った。5000円近い本の価格では、なかなか買えないが、思い切って購入した。
巻頭のページに

「いつか おまえに 会いたかった 中略
気が付いたんだ おれたちに 同じ時間が 流れていることに」

  と書かれている。おまえは熊をさしているのだが、その熊に襲われて亡くなられたのも何かの因縁かもしれないなどと思ってしまう。
アラスカの雄大な、人っ子一人いない風景の中には、自然と野生生物しかいない。危険を伴うが、太古から変わらない風景がそこにはある。また、春や秋のピークはたった一日と星野さんは書いているが、そんなピークの一日の美しい写真を手許に置いていつでも見られるのがうれしい。
星野さんの写真が美しいのは、命をかけた写真に対する(自然に対する)気持ちが写真に込められているからかもしれない。
アラスカの原野に一人放り出されて、迎えに来るパイロットに何かがあったらとか、天変地異があって自然の状況が大きく変わってしまうことも、絶対無いとはいいきれない。そんな覚悟が写真の中に写し込まれているような気がする。デジカメ写真とは大違いだなあ〜。 

「風を愛したひと」

織田美保子さんという方の遺稿集「風を愛したひと」を読んだ。39才でがんで亡くなられた奥様の書かれた随筆や日記をもとに、ご主人が作られた本。小学生と中学生の二人の子どもさんを残して亡くなられたので、読んでいて何度も涙を拭った。随筆はユーモアもあり、小説風のものもあって、家庭やご主人との様子が書かれている。お見舞いに毎日友人や知人がたくさん尋ねてこられていて、人柄が伺えた。愛をいう言葉を簡単には使いたくないが、この本からは織田美保子さんという方が愛したご主人や子どもさんへの想いが伝わってくる。
白洲正子さんの「西行」の中で、人間は孤独に徹した時、はじめて物が見えてくる、人を愛することができる、誰が言ったか忘れてしまったが、それはほんとうのことだと思う。」と書かれている。美保子さんが「死」を意識した時から、ご主人や子どもさんを本当に思うことができたんだと思う。

左義長祭

春を呼ぶ左義長祭りが、昨日今日と開催されている。この時期はいつも風花の舞う寒い季節なのだが、櫓を組み、三味線に合わせて太鼓を叩きながら踊る姿は、春を呼ぶようで、情緒がある。幼稚園や小学生も櫓に上がって、太鼓を叩いたりするのが可愛い。
夜は九頭竜河原でのどんど焼き。注連縄やお札、書き初めの反古紙などを燃やすのだが、去年初めてどんど焼きを見に行った。夜空に赤い炎が揺らぐ。火にあたりながら、炎を見つめているといつまで見ていても飽きない。火を直接扱うことが生活の中でほとんど無くなってしまった今の生活の中で、不思議な懐かしさを感じさせてくれる。

「忘れえぬ山」1

星野道夫さんが「旅をする木」の中で「坂本直行さんのこと」と言う文章を書いている。坂本さんの絵や文章が好きで、北海道の帯広にある記念館を訪れたことも書かれている。その坂本直行さんの「1月の日高山脈」昭和9年4月1日発行の山岳雑誌ケルン第11号掲載)が一番はじめに置かれている本。初版は昭和34年7月(1959年)。
心に残る山の文章がたくさんある。2番目の「摩周湖」(猪谷六合雄著)も新鮮な文章だった。奥様と筏を作って摩周湖に渡り、何日かを過ごすのだが、帰りの風向きが悪く、読んでいてはらはらさせられた。今とは交通事情・登山道具・食料と全てが今と比較すると悪条件の中で、苦労して山に登るのは、やっぱり山が好きという答え以外にはないのかもしれない。
「氷雪の富士行」(広瀬潔著)も面白かった。昭和14年2月末に富士山に登り、帰りはスキーで滑降して帰ってくるという冒険をしている。
自分では絶対に経験できないことが、本を読むことで経験できる。ここまでの登山は自分には絶対にできない。

1月26日

1月26日は藤沢周平さんの4回忌になる。亡くなられて4年も経ってしまった。前に新田次郎さんのファンの方がいて、新田さんが亡くなられてしばらくは本を読む気がしないと言われていたが、その気持ちがよくわかった。しばらくはどんな本も読む気がしなかった。
今日は久しぶりに図書館へ行って、文藝春秋の弔辞の特集を読んでしまった。藤沢周平さんは、教え子だった万年さんという方の弔辞が載っていた。最近は「小説新潮」も「オール読物」も相変わらず読む気がしない。「小説新潮」を買って、わくわくするような気持ちで読んだあの頃のような充実した時間はもう永久に戻ってこない。残されたたくさんの小説があることがせめてもの救いか。
心に残った弔辞は、山際淳司さんの小学生の子どもさんが書いた弔辞で、「おとうさんになりたい」という言葉だった。「お父さんのようになりたい」ではなくて、「お父さんになりたい」と・・・。

「本日順風」

野田知佑さんの「本日順風」を読み終える。カヌーに出かける場合の旅支度は?という質問の中で、文庫本をあげていて、その筆頭に藤沢周平さんをあげている。他には、開高健,沢木耕太郎,ロバート・パーカー,ギャビン・ライアル,ディック・フランシス,アラン・ムーアヘッドと書かれている。ユーコン川などをカヌーで下っている時に、江戸の街の話や川筋の話を読むなんて、きっと日本が恋しくなってたまらないだろうなあ。けなげな女性が出てくれば、なおさら・・・・・。

念じること

今瀬戸内寂聴さんの「私の源氏物語」を読み終えた。「夕顔の巻」で、夕顔が六条の御息所の生き霊に取り憑かれてはかなくなってしまうが、何かを念じるということによって他の人の心に呼応するということがあるのだろうか?たとえばちょうど電話をかけようとしていた相手からたまたま電話がかかってくるとかという、タイミングの良さというものなどについて、あるいは何らかの心理的な影響について。
人の心が読めるのならテレパス、七瀬のようになってしまうしなあ・・?

「仏像は語る」

愛宕念仏寺の住職で、仏像修理の西村公朝氏の書かれた本。絵が好きで美術学校に入ろうと思った作者が、文展を見に行き彫刻に惹きつけられ、東京美術学校の彫刻科に入学。在学中に、亡き娘さんを仏像に彫ってほしいという方の依頼を受けて彫った仏像を僧侶の方からほめられる。  その後色んな仏縁があって、紆余曲折を経て、国宝修理所に入所。三十三間堂の千手観音の修理を初めに様々な国宝仏の修理に携わる。
 仏像の修理の方法や仏像の種類を通して、仏教をわかりやすく解説してある。若狭小浜の仏像を見てきた所なので、興味深く読んだ。

携帯電話

イギリス館のコンサートに行った時に携帯電話をトイレに落としてしまった。ちょうどiモードに変えたいなと思っていたので悔いはないのだが、相変わらずのドジ(-_-;)。
iモードのメール機能は便利なんだけれど、親指で入力というのも馴れなくてイライラで、キーボードが欲しいと思ってしまう。インターネットのサイトもやっぱりパソコン画面のようにきれいには見えないし、制約が多くてまだまだだと思う。簡単・手軽だけどやっぱりパソコンが好き。

レプリカ作り

今日は恐竜博物館のレプリカ作りに参加してきました。

1 化石が半分埋まるように粘土で台を作る。
2 化石の上半分にカリ洗剤を塗ってシリコンが剥がれやすくする。
3 その上からシリコンを塗る。
 4 強度を強くするためにシリコンの上にガーゼを貼る。
 5 その上からまたシリコンを塗る。
 6 それを乾燥させる。
 7 これがレプリカの型になるので、その中に石膏を流し込んで固める。
 という工程になるようですが、時間がなくてシリコンを塗ったところで次回に持ち越しとなってしまいました。 シリコンを乾燥させている間に、他のレプリカの型でアンモナイトを作りました。
 こんな形をした菊の模様のらくがんがんに見えるのはお腹がすいているから(-_-;)

「土鈴」

一時期土鈴を集めていたことがあった。職場の職員旅行で行った松本の道祖神の土鈴を、旅のお土産に買ったのが最初だった。それから三井寺の鐘の形をしたもの、鬼の面、七福神などいくつか集めた。
ある時に、岐阜県の白鳥町にある日本土鈴館に行く機会があった。そこには数え切れないほどたくさんの土鈴が集められていた。これだけたくさん集めないとだめなのかと、見ていてちょっとショックだった。で、集めるのは自分のポリシーに反する、物に執着するのはやめようと思って、結局それからは集めるのをやめてしまった。で、家には20個足らずの土鈴が残されているという訳である。

「コンサート」

ここの所、コンサートに出かける機会が多くて、横浜イギリス館での及川恒平さんのコンサート、白峰村での古謝美佐子さんのコンサート、ハートピア春江でのジャズコンサートと10日ほどの間にジャンルも場所も観客も全く違う所に行った。音楽は聴けば分かるが、好きか嫌いかの選択肢しかないように思う。しかし、自分で聞かず嫌い?はやめてその場に自分を置いてみてから判断した方が、正確な判断ができる。
民謡は好きも嫌いも無いのだが、古謝さんの声は、本当に魂に響いてくる、心を揺り動かされるものがあった。コンサート終了後CDを買ったのだが、CDではこのを心を揺り動かす物までは納められていなかった、納めきれないものがあるんだと思った。 やっぱりコンサートにいかなくては・・・(^_^)。 

「うさぎの死」

子うさぎが死んだ。命あるものはいつか死んでいかなければならないのはわかっているのだが、あまりにはかない命の終わりに気持ちの整理がつかないでいる。抱き上げた時の心臓の音、さわった時の温もり、跳ねているところ、葛の葉を食べている様子などつい2日ほど前の元気だった頃のことを思い出してしまって・・・。最後の頃はやっぱり不安だったんだろうか、いつも仲間のうさぎの横にひっそりとうずくまっていたり、体を寄せていたりしていたし。子うさぎの死に何かの意味を見付けないと心の整理がつかなくて。
 とりあえず子うさぎの写真館のページを作って、冥福を祈ることにする。
2日ほどかけて子うさぎの写真館のページを作る。けっこうたくさん写真があるのだが、なかなかベストショットがない。もっと撮っておきたい場面がたくさんあったが、相手は動物でなかなかむずかしい。

「刀研ぎ師」

今日は平泉寺の刀研ぎ師をされている方のお宅におじゃまして、お仕事場などを見学させていただく。
刀鍛冶という職業は需要がなくなることでなくなっても、刀研ぎ師という仕事はなくなっていかない、というのは今まで持っている方がいるからとか、神社仏閣の宝物殿に納められている物やご神体になっているもの、旧家に伝わる物などあるとかで、刀その物はなくなっていかない。海外の美術館に納められている刀も刀研ぎ師でないと研げないので、仕事はいくらでもあるとのこと。
砥石で下研ぎを10工程以上を1週間ほど、指で仕上げの研ぎを1週間かけて研ぐとのことでびっくりした。家も旧家の立派な門のあるお宅で、源氏物語絵巻の八双の屏風が飾られていてまたまた、びっくり。      

「永遠の仔」

長いことつんどくだった「永遠の仔」をようやく読み始めて、上下2冊、上下2段組とかなりの量だが、一気に読んでしまった。
  とても重い内容で、精神的にも肉体的にも傷つけられた少年・少女が心を寄り添わせ合って生きようとしていくのだが、色んな事を考えさせられた。家族・親子・兄弟・友情・死・罪・老人問題・愛等々。
登場人物の中で、主人公の優希・笙一郎・梁平よりも脇役の岸川夫人や梁平の養父母に魅力を感じてしまう。

「八ヶ岳キッチン」と「南へ」読了

らんぼうさんの「八ヶ岳キッチン」は、八ヶ岳の見える土地にログハウスを建て、暇ができたら通うという生活をされている。野草の美味しい食べ方や、普段雑草だと思っていて食べられないものが食べられる(すみれの天ぷら)などの発見があった。身近な話題で、ぜんまいやわらび・タラの芽などは食べるが、筍などは頂き物がありすぎて・・・などと都会に住む人から考えれば贅沢な食生活なのかもしれない。
野田さんの「南へ」は、九州の熊本から鹿児島に移り住み、カヌーで川を下ったり釣りをしたり海に潜ったりと、水と共にある生活。しかし、ダム建設や河口堰建設で、目下は徳島県の木頭村に住まれているという。
小さい頃水に流された記憶があって、それ以来水に対する恐怖心があるのか、海や川よりも山だと思う。
野田さんの本を読むたびに、日本の治水行政はこれでいいのだろうかと考えさせられる。

崔洋一監督

「月はどっちに出ている」の崔洋一監督のトークショーに大野まで行って来た。映画を撮ることが自分の人生と言われたが、もし自分が映画を撮るならどんな映画が撮りたいのだろうかと、ふと考えた。
 人間嫌いの私としては、自然の中の動物を四季の中で撮るというドキュメンタリーになってしまうんだろうなあ。人間よりも自然の方に興味があったりする。だから星野道夫さんのアラスカの写真や文章に惹かれてしまうんだろう。
9月のWOWOWで映画化の元になった作品が放映されるとか、楽しみだなあ。

読  書

本屋さんで野田知佑著「南へ」、みなみらんぼう著「八ヶ岳キッチン」を購入。昔々の自分は、こういったアウトドアの本を、家で静かに読んでいるのが好きだったのだが、最近は山へ登ったり、テニスをしたりとすっかり行動の人になっている。山ばかりに行っているので、ガーデニングは、朝晩の水遣りなどの必要最低限のことしかできなくなっていたりする。
静かに本を読みながら、想像したり、自分が山に登った気になっていたりする時間も結構捨てがたいものがある。本から、湿った雨のにおいだとか、夏草の草いきれの様子、風の冷たさ、土の匂いなども感じられて・・・・。

全  集

今までに全集を読んだ作家は二人で,新美南吉と立原道造。
二人とも日記の中で,読まなければよかったというような内容があって,人間性に疑いを持ってしまった。以来全集は読まないと決めているのだが,藤沢周平さんの全集だけは例外で,絶対に買おうと思っている。
 しかし,家の本棚は満員で,全集を置く場所がない。いらない本を何とかしなくては・・(-_-;)。藤沢周平さん以外の作家の本は,なるべく文庫本ですませているが,それにしても増える一方。

 
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